3年経っても
3月9日(日)にセントラルパークで開催された、「Run for Japan」という東日本大震災のチャリティランニングイベントに参加してきた。震災のあった2011年から続いているイベントで、今年で3回目。前から気になっていたのだけど、この時期にNYにいることがなかったので、私が参加したのは今年が初めて。
当日は、美しく晴れ渡ったいいお天気だったけど、セントラルパークの池はまだ凍ってるほどの真冬の寒さ。走り出したら、顔以外唯一むき出しの手がしびれるくらい異常に冷たくなってびっくりした。
走る前は、セントラルパークを走りながら、あの日から今までを走馬灯のように思い出したりするんだろうか、なんてセンチメンタルなことも少し考えていたのに、走り出したら「手が冷たい」「きつい」「歩こかな」と人間臭さ丸出しの感情しか出てこなかった。
人間なんて(私なんて)そんなもんだよなあと自嘲気味に思いながら、歩こうかなと思った瞬間「そうだ、今日は私は日本のために走ってるんだ」というのを思い出した。なんたって「Run for Japan」と書いたTシャツも着てる。せめて日本のためにもう少し走ろうと思い直し、また走る。
「日本のために」なんて考えていたら、こないだのソチオリンピックのことを思い出した。真央ちゃんとか選手の人たちもこういう気持ちだったのかな、意外と「誰かのために」と思った方ががんばれるものだなと、100万分の1くらい気持ちが分かったような気になってみたり。
でもそれがプレッシャーに代わるのはどういう時なんだろう?人によって、環境によって違うんだろうけど…などとぼんやり考えていたら、プレッシャーに感じるほど日本を背負ってはいなかったので、その気持ちが分かった気になる前に、またもや歩きたくなる。
やっぱり凡人には日本はそこまで背負えない、自分のために歩こう(単に疲れた)と思った矢先、今度は同じイベントの参加者のアメリカ人男性を道端に発見。話しかけたら、どうやら彼女がどこにいるか探しているらしい。「多分私が最後尾だと思うよ」と言ったら走り出したので、そのまま成り行きで一緒に走ることに。
あんなに「もう歩きたい」と思ってたのに、人とおしゃべりしながらだと意外と走れる。しかも、この人は歩こうとしていた私を励まそうとしているな、というのが伝わってきたので、今度はこの人のために一緒に走ろうと思った。
それにしても3年前は、日本のことをこんな風に思いながら、アメリカ人に励まされながら、セントラルパークを走るなんて思ってもみなかった。人生なんてほんと何が起こるか分からない、と思っている隣では、アメリカ人が「日本人女性の名前って似たようなのが多くて、紛らわしくて覚えられないんだよ。アヤコ、ヨウコ、でユウコだろ?ユキコ、ユキもいるな」などと言っている。
結局、3年前のあの日も、その後のあの日も、3年経った今も、私はやっぱり私のことしか考えられないのだな。なんだかとても利己的な人間みたいだけど。
私がセントラルパークで日本のことを思いながら、歩きたいと思いつつがんばって走ってみたところで、きっと被災した人には何の影響もないのだろうけど、「知らない誰かのことを思う」という気持ちに少しさせてくれただけでも、私はこのイベントに参加してよかったなと思った。これもまた利己的な感想だけど。
最後は、英語で会話しながら走ることはもちろん、ただ走ることにも本当に疲れて「私は大丈夫ですから、先に行ってください」と丁重に並走を辞退して、自分のためにまったりと歩いてゴールしたのでした。
あんなにきついと思っていたのに、終わってみれば爽快な気分で、冬に走るのも気持ちいいものだなと思ったのは意外だった。のど元過ぎれば熱さも寒さも忘れるもので、忘れることはポジティブに前に進むためにやっぱり大事なことだね。
3年経っても忘れられないことの方が多いだろうし、忘れたくないこともたくさんあるだろうけど、忘れることも悪くないと思えたらいいなと思う。