無いものねだり

この間、自由が好きだから孤独を選ぶ、と書いたように思われている気がするけど、それはかなり究極の選択に近くて、もちろん普通に独りは寂しいなという感覚はあります。

と、なぜかいきなり言い訳口調。一体誰に言い訳をしているのやら。ただ、何だか誤解されているような気がしたので。

よくよく考えると、生まれてこの方一人で暮らしていた時間の方が断然短い。10年近く一人暮らしをしていたけど、その間も友だちが泊まりに来ることが多かったり、半分誰かと一緒に住んでいるような期間が長かったり。最近よく行くNYでも常にルームシェアだし、本当に一人きりで暮らしている時間というのは、実はあまり長くない。

だから、孤独でもいいから自由がいいと思うのは、実はただの無いものねだりなのかもしれない。

そんなことをぼんやり考えていたら、山下和美の『不思議な少年』の話を思い出した。この漫画はオムニバスというのか、基本的には一話完結で、全体を通して不思議な少年と呼ばれる、時空を自在に移動して姿形も割と自由に変えられる少年が登場する。思い出したのは、その中で一番好きな「タマラとドミトリ」という話。

一番好きというのとは少し違うかもしれない。最初に読んだ時は、なぜか嗚咽するほど号泣した。その後も何度か読んだけど、その度にやっぱり涙したり、毎度心をぐわんぐわん揺さぶられる感覚があった。

詳しいストーリーを書いてしまうのは憚られるけど、基本的には自由を求めてどこかへ行こうとして、失敗して失敗して失敗して、最後には不自由さとか理不尽さをひっくるめて現状に幸せを見出す、みたいな話。最終的に「足るを知る」境地に達したのだろうね。そして、それこそが幸せじゃないですか、と語りかけてくる。

確か漫画の中で「人は暗闇の中で光を求め、光の中で暗闇を求める」みたいな台詞が出てきたと思うけど、正にこれこそ無いものねだり。暗闇の中で光を求めるのはまだ分かるけど、光の中で暗闇を求める必要なんて無さそうなのにね。結局、自分が無いものねだりをしていることに気付けるかどうか、ということなんでしょう。

「足るを知る」、言葉では簡単そうだけど、自分のお腹の底からそれが湧いてくるほどに今の自分に満足できるまでは、まだまだ時間がかかりそうです。